本来キャロル&チューズデイに期待した内容はこうだった

作品が始まる前に毎回入るモノローグ。
それは火星の歴史が変わった瞬間と、それを引き起こした少女二人の奇跡を期待させるものだった。
だが実際はみてのとおり。
数人の主人公が存在するほのぼの群像劇だった。
特に、最終話を残した現在では、本当の主人公はライバルであるアンジェラであったかのように見える。
主人公のキャロルとチューズデイにも本来、存在意義ともなる悩みはあったはずだが、そこはほとんど掘り下げられることはないままだった。触れられることはあってもそこから物語が分岐するような出来事や彼女たちの成長物語は用意されておらず、
現実世界がそうであるように、ただなんとなく、聞かれれば話しはするものの、当人はその状況をしかたのないこととして感じており、解決しようとしておらず、回りに流されるままになんとなく折り合いをつけたようにしか描写しなかった。

本来期待したのは主役二人の圧倒的な才能であり、彼女たちの作曲プロセスの面白さであり、人柄であり、スターダムに乗ってからのその後の話であった。
主人公たちを応援する視聴者としては彼女たちを叩き上げの才能と信じているが、後々出てくるチューズデイの恵まれた環境をメディアに暴かれ、プロパガンダをうたがわれ、正反対の出自であるキャロルと亀裂が生じつつも再びセッションを通じて二人がお互いを信じあうような姿であった。まさに生まれついてのスターであるアンジェラだって、とことん憎まれ役で出てきてくれた方が、このあとの挫折は印象深く見えただろう。彼女は最初からかわいそうで、そして最後まで不憫だった。

たくさんの先人アーティストたちの過去と現在をシリーズを通して見せるのも、そこから彼女たちが具体的なメッセージを受け取っていかなくてはいけなかった。
ほのぼのとした群像劇をやるにしては、火星だの伝説のミュージシャンたちとの交流などの舞台だけが派手すぎたように感じる。

いま、香港のデモを率いる周庭さん、
環境保護を訴えるグレタ・トゥンベリさんなど、ちょうど少女の革命的ヒロインはブームになっている。それらがメディアによる便乗で目立ってしまったにしろなんにしろ、
キャロル&チューズデイと言う作品はまさに時流に乗ったテーマの作品になりえた。
だのに今のキャロルとチューズデイは、最終回となる政治的アピールをする場にたくさんのアーティストを呼びつけて、あくまでも群像劇といわんばかりに最後まで自分達の目立つ出番を他人に分散させてしまっている。

snsから人気に火がついたのなら、オーディション番組等には出ず最後まで草の根活動でファンを増やさなくちゃいけなかったし、最初の動画をアップロードするのも本人たちの意思じゃなければいけなかった。
メディアの仕込みや経済的、政治的バックのないスターが、体制と対立しながら成功する話でなければ、最後に唐突に母親が政治家という死にきった設定を掘り返して革命のヒロインになったとしても、視聴者は感動できないのだ。